「人としてどう生きるかが大事」希林さんの生き方から自分の人生を見直す
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こんにちは、ともかです。

日々恋愛について考えていると、最終的に行き着くところは「自分の死」。自分が死ぬ時に、どのようにこの世にお別れをするのか、そのときには誰に側にいてほしいのか。

じゃあ、死ぬ時に後悔しないようにするために、今したいことは何?

今、必死になってでもやらなくてはならないことはなに?

と思うわけです。すると、私は「仕事は自由にしたい!」「自由に遊べる時間も欲しい!」「もちろん恋だってしたい!!!」って欲だらけなわけで・・・

樹木希林さんにとって大切なもの

2018年9月にお亡くなりになった、樹木希林さん。享年75という年齢に驚きを隠せない。ただそれは私の中の樹木希林さんに対する「老婆」のイメージが大きいことにあるのかもしれません。

日頃からあまりテレビを観ない私でも、これまでの人生の中で、樹木希林さんの出演されているドラマや映画やCMをいくつも観てきました。

とても個性的な方で、飾らない気さくな印象がありました。でも、実際に希林さんがどのような考えを持ち、どのように生きてきたのか、それを知ったのはつい最近のことです。

女優として、妻として、母親として、そして1人の女性として、凛と生きてきたイメージがありますが、それは数々のご苦労を必死に乗り越えてきたからこその強さだと思います。

自分の軸をしっかり持ち、ブレずに信念を持って生きてきたからこそ、「もともと欲はない」という言葉がなんの違和感もなく入ってくる。

「もともと欲はない」なんて、普通の人じゃ絶対に言えない言葉だと思います。言うことは簡単だけど、周りが認めない。それをこの方がおっしゃると、なぜか納得してしまう。

ガンになり、自分の死が身近にあることを知った時、多くの人達は「死ぬ前にあれをしておきたかった」「どうせ死ぬのなら、あれをやりたい」などと、欲が強く大きくなると思う。

しかし希林さんは「やり残したことはありませんか?」という記者の質問に対して、「そんなの、ありませんよ。もともと欲がないんだから」と返す。

女優としての執着もないという。それよりも「人としてどう生きるかが大事」

煩悩の数だけ欲がある私達

私たちはどうも欲や執着に縛られすぎていると思う。それがなければ、世の中はもっと平和で穏やかなはずでしょ。

仏教でも1人の人間には「108」の煩悩があるといい、この煩悩を少しでも減らしたほうがいいよって教えてくれています。

その中でも三毒の煩悩と言われるのは、貪欲、瞋恚、愚痴です。

貪欲とは(とんよく)

欲求です。

車が欲しい、洋服が欲しい、家が欲しい、お金が欲しいなどの物欲や、仕事で成功したい、トップに立ちたい、認められたいなどの承認、そして愛されたい、頼りにされたい、モテたいなど。

自分の中で次々と沸き起こる欲求が、貪欲というもの。しかもこれらは次から次へと出てくるので、満たされることはなく、永遠にこの欲求に苦しめられるといいます。

瞋恚とは(しんい)

怒りです。

貪欲が満たされないことによる不満も怒りに変わります。人間関係においても、大きな影響を及ぼします。

自分の思い通りにならないことは、時として大きな怒りになります。それを自分の中にとどめて置くことが出来ないと、周りに対して怒りを振りまき、人間関係を悪化させます。

愚痴とは(ぐち)

恨みや憎しみです。

同じ大学だった子が、自分よりいい会社に就職した。同じ会社のあの人は、自分よりもいい車にのって、いい服を着ている。

あの子私より可愛くないのに、なんであんなイケメンの彼氏がいるの??自分はこんなに頑張ってるのに、なんでみんなは認めてくれないの??

こういった不満が、恨みや憎しみを生み出します。

煩悩は消すことが出来ない

しかし人間の煩悩は消すことが出来ないと言われています。でも人間は「煩悩具足」であると言われ、これは煩悩で出来ているという意味です。

だから煩悩はあってもいいんですね。というか、あって当たり前なんですよね。それを出来るだけ減らしていきましょうというお話しですね。

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欲がないと恋愛はできない

希林さんの生き方を見ていて思ったことですが、希林さんが持つものは、強い慈悲の心であり、愛ではないのかなっと。

仏教でいう「慈悲」とは人間愛をいうが、「愛」は欲望であり執着であると悪い意味で使われます。

内田裕也さんとの関係をみても、慈悲はあるけれど愛はないような感じがします。でも慈悲を持って、愛を手放すことって、本当の強さをもった人間でないと、出来ないことだと思います。

だってみんな自分が愛されたいから、相手に望むし、愛したいから、相手に求める。そうやって必ずどこかで自分が与えただけのものの見返りを期待している。

だからこその恋愛どとも思います。だから希林さんは人として素晴らしく、女性としても尊敬できる人ですが、私には真似できません。私にはまだ「愛」を捨てることができません。

まとめ

自分が死ぬ時に、私は慈悲だけを持って迎えることができるのか。それともやはり愛も求めているのか。それは今はわかりません。

しかし今私は誰かを愛していきたいし、愛されたいと思っている。その気持ちこそが恋愛をしていく上ではとても大切だとも思っているから。

ただやはり愛が悪いものとして考えられている理由もわかるような気がする。愛はやはり危険だし、心を狂わせることもある。

うまくそのバランスを取っていくことが重要で、自分がおかしな方向に行きかけたら、軌道修正をしいなければならない。そこに必要なことは、やはり慈悲なのではないか。

「人としてどう生きるか」今の自分と向き合って、真剣に考えなければなりませんね。

 

 

 

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